自閉症のつらいパニックについて

パニックになると、僕はとても苦しくてつらい気持ちになります。つい先日も、学校でパニックになってしまいました。そのときは、フラッシュバックが原因でパニックになりました。

 

パニックになったとき、落ち着かせてほしいです。背中をさすり、「大丈夫だよ」と声をかけて、笑顔で、手を握ってほしいです。そうすると、僕はだんだん落ち着いて、いつもの笑顔に戻ります。パニックになったときいちばんしてほしくないのは、怒鳴ったり、ほったらかしにしたり、嘲笑ったりすることです。

 

パニックになると、僕は泣き叫び、物を投げ、自分を傷つけて、危ない行動をしようとします。そういうとき、そばで僕に寄り添ってくれる人がいたら、僕はとても嬉しいし、すぐに落ち着くことができます。実際に、中学校の先生たちは僕がパニックになったときそうしてくれます。

 

でも、そうやってパニックになったときの対応をしてもらう先生たちに負担がかかるのは好ましくないし、パニックはすごくつらいので、ならないようにいつも気をつけていますが、やはり時々パニックになってしまいます。

 

パニックになっているときは、尋常じゃないほどの閉塞感とめまいと苦痛があります。目の前の景色がどんどん歪んでいき、真っ暗闇のなかにずっといたかのような感覚に陥り、とても怖くなります。

 

誰かに助けを求めて、暗闇の中泣き叫び暴れます。どうにかして落ち着こうとして自分を傷つけようとします。そして、投げやりになり危ないことをしようとします。強い絶望感さえも感じ、目に涙をためてブルブル震えています。

 

そんなとき、弱っている僕をもっと傷つけるかのような行動や態度をされると、僕はもっと声を荒らげて泣き始めてその場から逃げようとします。腕を強くつかまれたりすると、とても恐怖を感じるのでやめてほしいです。

 

パニックになった後、僕はとても自分のことを情けなく、惨めで、恥ずかしく思います。パニックになることは悪いことだと思ってしまうからです。でも、パニックになりたくてなっているわけではないのは理解してほしいです。パニックになってしまうほどのとてもつらいことがあるのだと知って欲しいです。

 

僕のパニックの対応をするのは、とてもストレスがたまると思います。それでも、嫌な顔ひとつせずにパニックになった後も笑顔でいつも通り接してくれる中学校の先生たちには、とても感謝しています。

質問に答えるまでの時間

なにか口で質問をされたとき、健常者はすぐ答える人が多いです。答えるのに少し時間がかかったとしても、一分もしないと思います。

 

僕は、すぐに質問に答えるのが苦手です。決まっているものなら答えることができます。名前や住所、物の名前などです。

 

「どうして文章を書くのが好きなの?」「なんで変な声を出すの?」というような決まっていない質問は、答えるのにすごく時間がかかります。なぜなら、口で話すからです。

 

僕は、口で話すのが苦手です。頭の中でパソコンのキーボード配列を思い浮かべて、一文字一文字探しながらでしか話せなくて時間がとてもかかるし、なにか考えるのも人より時間がかかるからです。

 

決まっている質問も、口で話しますが、決まっている質問のときはなぜか頭の中のキーボードを少しはやく打てます。

 

それに、決まっている質問なので、特に考えることもしないため、すぐに答えることができます。

 

質問にすぐに答えるのが苦手ですが、すぐに答えなくてはならないときもよくあります。

 

そういうときは、必死に頭をフル回転させて、できるだけはやく答えられるように頑張っています。でも、それをするとかなり疲れてしまいます。

 

僕に質問があるときは、質問を紙に書いて渡してくれれば嬉しいです。

 

そしたら僕は、紙に質問の答えをその日うちに書いて渡すことができます。でも、それができないときも多いと思います。そのときは、僕が頑張って頭をフル回転させます。

障害者として生きること

僕が自分に障害があると知ったのはつい最近のことで、小学6年生のときでした。診断書を見せてもらって、そこで初めて知りました。そのとき僕が思ったことは、「本当に障害があったんだ」という驚きと生きづらい原因が明確になった喜びです。

 

僕はもともと、人と違うことはわかっていました。「自分は人見知りでへんてこりんな人間なんだ」と思っていました。そして、「障害でもあるのかな」なんて漠然と思っていました。診断書を見たとき「障害があって周りの人と違うんだ」と認識を改めました。

 

障害者であることは不幸ではありません。障害があるがゆえに、健常者が経験しない苦労も多いと思います。でも、健常者も障害者も生きていく上で苦労や悩みは必ずあるはずです。その苦労や悩みの種類が違うだけで、苦労したり悩んだりすることは同じです。しかし、過去の僕はそうは思えず、健常者が羨ましかったです。

 

健常者は、「普通」ができます。ずっと座っていること、大きな声を出さないこと、パニックにならないこと。それらができるのが羨ましくて、僕は健常者に憧れを抱いていました。でも、健常者になれて、みんなと同じことができるようになったとしても、苦労を全くしないわけではなく、また障害者のときとは違った悩みが待ち受けているのではないかと気づきました。

 

今でも時々、「普通がよかった」と口走ってしまうときがありますが、「障害があってよかった」といつか心から言えるようになるといいなと思います。

 

はじめに

ブログを始めることにしました。

現在中学1年生、13歳の彼月生兎(かれづきいと)と言います。僕は「自閉症スペクトラム障害場面緘黙症」と幼い頃に診断されて、小学校は通常学級、中学校では特別支援学級です。

 

趣味は絵を描いたり、文章を書いたり、散歩をしたりすることです。このブログには、障害特性の困りごとや自分が障害者であることに関して思うこと、詩などを書いていこうと思います。初めて文章をブログに載せるので、至らない所もあるかもしれませんし、表現の仕方が不適切だったりするかもしれません。それでも、一生懸命丁寧に書いていくように頑張ろうと思います。よろしくお願いします。